一般社団法人日本植物油協会は、
日本で植物油を製造・加工業を営む企業で構成している非営利の業界団体です。

植物油サロン

食に経験や造詣が深い著名人、食に係わるプロフェッショナル、植物油業界関係者などの方々に、自らの経験や体験をベースに、
食事、食材、健康、栄養、そして植物油にまつわるさまざまな思い出や持論を自由に語っていただきます。

第7回 料理記者として半世紀。「おいしゅうございます」の感謝の心を忘れずに。
食生活ジャーナリスト 岸朝子さん

子持ちの専業主婦から料理記者の道へ

食生活ジャーナリスト 岸朝子さん

料理記者、食生活ジャーナリストとして半世紀となる私ですが、その出発は昭和30年。「料理の好きな家庭婦人を求める」という主婦の友社の社員募集広告がすべての始まりでした。当時32歳の私はすでに3人の子持ちの主婦。おなかには4人目の子供がいました。夫が職業軍人だったため戦後は経済的に苦しくなり、夢にも思わなかった職業婦人の道を歩むこととなったのです。料理記者や編集者の何たるかも知らず、料理は作るのも食べるのも好きという気持ちだけで飛び込んだわけですが、仕事は楽しかったですね。当時女性はおかみさんでさえ出入り禁止だったプロの料理人の厨房に入り、その仕事ぶりを見ることで食の大切さ、素晴らしさをあらためて感じ、わくわくしたものです。

私が見つめてきた半世紀の間に日本の食生活は大きく変わりました。戦後間もない昭和20年代の日本は貧しく、口に入るものなら何でも食べていた時代。つまり「胃袋で食べる時代」だったといえるでしょう。それが昭和30年代になると社会が落ち着いてきます。昭和30年には私が採用されたような料理の本や料理教室が人気を呼び、胃袋でなく「舌で食べる時代」が来たのです。昭和43年、私は母校である女子栄養大学の出版部へ『栄養と料理』の編集長として招かれます。この40年代は料理だけでなく器や盛りつけ、テーブルセッティングなども楽しむようになった「目で食べる時代」と言えるでしょう。

さらに50年代に入ると「頭で食べる時代」がやって来ました。必要な栄養をきちんと摂って健康になろうと、みんなが考えるようになったわけです。そして続く昭和60年代は「心で食べる時代」になるはずでした。「おいしゅうございます。ごちそうさま。」と誰もが豊かな食に感謝するはずだったのに、時代は「おふくろの味」からインスタントに代表される「袋の味」になってしまったのです。その状況が今も変わらないことを考えると、日本の食生活は昭和40年代半ば頃が一番よかったかもしれません。

「命は食なり」その言葉を胸に母として記者として奮闘

最近のお母さんは料理を作らないといわれますが、「作らない」のでなく「作れない」人が増えているのではないでしょうか。その理由はインスタント食品やコンビニ、デパ地下などの発展や受験戦争の激化が挙げられると思います。団塊の少し前の世代、昭和20年代生まれの人たちは受験戦争が厳しくなり始めた頃に育ったため、親が勉強ばかりさせて家事を手伝わせなかったのです。そのため料理ができず、その人たちが育てた子供たちも同じように料理が作れないというような状況になってしまったと感じます。これは心配なことです。

私が料理を作ることの大切さをあらためて感じたのは阪神大震災のとき。『栄養と料理』の通信講座を受けていた方が被災されたのですが、「栄養の基本を学んでいたから、家は壊れたけれど心も体も壊れなかった」とおっしゃいました。炊き出しのおにぎりに野菜ジュースなどをうまく組み合わせてご自分で工夫して、元気に困難を乗り切れたということです。

私は幸運なことに幼い頃から、さまざまな人に食の大切さを教えられてきました。牡蠣の養殖業の先達といわれる私の父は「料理は命にかかわる」という考えから、食に対してはとても厳しい人でした。また、女子栄養大学の恩師である香川綾先生にも「命は食なり」「料理を作れることが人間の資格である」と教え込まれたものです。ですから料理記者として働き始めてからも料理に対しての勉強は人一倍励みましたね。夫と子供たちに朝ご飯を食べさせ、お弁当を作り、夕食の準備を終えてから出勤したものです。ただし子供たちには「のり弁当が多かったよ」と今でも怒られてしまったりしますけれど・・・(笑)。

食と運動は健康の両輪。人一倍の好奇心も私の健康の秘訣

「食は命」ですが、中でも命の素となるのは植物です。その植物から生まれた植物油は昔からよく料理に使います。昔はごま油で揚げた天ぷらなんて特別なごちそうでしたね。今もキッチンにはサラダオイルから機能性オイル、グレープシードオイルやかぼちゃの種のオイル、ひまわりやくるみのオイルなど、たくさんの種類を常備しています。油を使うと料理にこくが出るので、味つけも塩分控えめにできてヘルシーです。父が愛した牡蠣は牡蠣フライのほか植物油で焼きつけたりしてもおいしいですね。また植物油と醤油や味噌など発酵食品を合わせると風味のよい調味料になるので気に入っています。

私は92歳になる今も、5歳の時にはしかにかかった以外は寝ついたことはありません。これも植物油を毎日摂るようにしているからでしょう。天ぷらなどの揚げ物は毎日のように食べていますが、太ったこともありません。私の家庭のキッチンにはごま油、オリーブオイル、綿実油など必ず3~4種類の植物油を常備。仕事柄、油を使うのはさすがに上手なので(笑)、天ぷら、トンカツなどは自分で揚げますよ。

植物油をはじめ油を適度に使った料理をバランスよく食べ、車に頼らず地下鉄やバスや階段を使ってなるべくたくさん歩くことが私の健康法。私は東京生まれの沖縄育ちですが、長寿で知られる沖縄では100歳を超えたおばぁも姿勢がよく、とても元気。畑仕事をしてたくさん歩き、昼寝をして、夜はよく食べよく飲み、よく歌いよく踊ります。やはりヘルシーな食と運動が健康の両輪なのですね。それに私の場合は好奇心も健康の秘訣。毎日、新しい土地や人、食べものに出会うのが喜びです。食べるということは生きものの命をいただくこと。これからも「いただきます。おいしゅうございます。ごちそうさまでした。」という感謝の心を忘れず、楽しく元気に過ごしたいと思います。

プロフィール 金田勝次

岸 朝子(きし あさこ)

食生活ジャーナリスト

大正12年、東京生まれ。
昭和30年、10年間の専業主婦生活から一転、主婦の友社へ入社。『家庭料理文庫』の和食、中国料理、西洋料理などの編集に携わる。

昭和43年、女子栄養大学出版部にて『栄養と料理』編集長に就任。

昭和54年、エディターズ設立。執筆、講演のほか、フジテレビ系「料理の鉄人」の審査員としても活躍。

「沖縄料理のチカラ」(PHP出版)、「岸朝子のおいしいお取り寄せ」(文化出版局)、「老いは楽しゅうございます」(亜紀書店)など著書多数。

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