第30回 植物油栄養懇話会

1.「魚類のDHA合成経路の改変:植物油を用いた飼餌料で肉食性海産魚の養殖は可能か?」東京海洋大学 水圏生殖工学研究所 所長 吉崎 悟朗

橋本 道男

 海産魚はドコサヘキサエン酸(DHA)を豊富に含むことが知られているが、ほとんどの海産魚は自らDHAを合成する能力はもっておらず、海産の微細藻類等が生産したDHAを食物連鎖を通じて摂取し、蓄積している。したがって、海産魚の養殖ではDHAを高レベルで含有する魚油を飼料に添加することで、その必須脂肪酸要求を満たしている。また、魚油は多獲性の天然魚から抽出しているため、様々な脂溶性汚染物質が含まれていることも指摘されており、汚染物質をほとんど含まないことが知られている植物油を用いた養殖技術の開発が嘱望されている。これらの海産魚ではα-リノレン酸(ALA)からDHAを合成するのに必要なFatty Acid Desaturase 2(Fads2)やELOngation of Very Long chain fatty acids protein(Elovl)といった各種脂肪酸代謝酵素活性の一部が欠損していることが知られている。一方、淡水域はDHAが餌料環境中に極めて少ないため、淡水魚はALAからDHAを合成するためのFads2やElovlを保持している。そこで、我々の研究グループでは遺伝子組み換え技術により、淡水魚由来のFads2を種々の魚類個体内で過剰発現させ、DHA生産能力を向上させることを目指した研究を進めてきた(Alimmudin et al., 2005; Kabeya et al., 2014)(図1)。

魚類のDHA合成経路の改変:植物油を用いた飼餌料で肉食性海産魚の養殖は可能か?図1.ヤマメのfads2遺伝子を導入しニベ肝臓の脂肪酸組成

しかし、遺伝子組換え技術は市場では好まれておらず、遺伝子組換え魚類の養殖利用は現実的ではない。そこで我々は内在性の遺伝子配列をわずかに改変することでタンパク質の機能を改変しうるゲノム編集技術に着目した。本実験を遂行するにあたり最大の問題は、どのようにアミノ酸配列を改変すればDHAを合成できない海産魚のFads2をDHAを合成できるタイプへと改変しうるかである。我々はこのヒントをアマゾン川に生息する小型のカレイに求めた。

魚類のDHA合成経路の改変:植物油を用いた飼餌料で肉食性海産魚の養殖は可能か?図2.淡水カレイのDHA合成能の獲得様式

 アキルス科に属するカレイ類は祖先型の種は海にのみ分布しているが、一部の種はアマゾン川に進出している。我々はまず祖先型の海産カレイ種でこれらの脂肪酸代謝活性を解析したところ、DHA合成に必須のΔ4不飽和化活性およびテトラコサペンタエン酸(TPA)に対するΔ6不飽和化活性を欠損していることが確認された。しかし、本種に近縁なアキルス科の数種のカレイ類はその餌料環境中にDHAを殆ど含まない淡水域へと適応し、完全に淡水域のみで生活することが可能となっている。そこで我々はこれら魚種のDHA合成経路を詳細に検討した結果、淡水種では、①fads2が遺伝子重複しており、新たに生じた酵素がΔ4活性を獲得している例、②Fads2が多機能化しており単一の酵素がΔ4,5,6活性を獲得している例、③Fads2が多機能化しており単一の酵素がALAに対するΔ6活性に加えTPAに対するΔ6活性を獲得している例を発見した。これらの新たな酵素活性は、これらの淡水種に近縁の海産カレイのFads2にわずかなアミノ酸変異が生じたことで獲得されていた(Matsushita et al., 2020)(図2)。また、同様のFads2の三機能化はパプアニューギニア産の淡水カレイでも生じていた。本種は上述のアキルス科とは離れた分類群に属するものであり、上述のアキルス科淡水カレイ類の多様なDHA合成戦略の獲得と併せて考えると、海産起源の魚種が淡水に進出するためにはDHA合成能の獲得は必須であることが強く示唆された。

 現在、このような自然界で認められる酵素活性の変化を参考に、ゲノム編集により海産カレイ類のFads2アミノ酸配列置換を導入し、多機能性を獲得させることを試みている。実際に日本産の海産カレイ類由来のFads2配列のアミノ酸をわずか9個置換するだけでΔ4,5,6のすべての酵素活性を有する三機能化を実現できることを酵母宿主を用いた組換えタンパク質生産系で確認することができた。続いてCRISPR/Cas9システムを受精卵にマイクロインジェクションすることで、ゲノム編集を行った。現在までに目的の部位にアミノ酸置換が施された親世代を確立することに成功しており、これらの次世代を生産することでゲノム編集個体を大量生産することを目指している。これらのゲノム編集個体は自力でALAからDHAを合成できると予想され、植物油を飼餌料に添加することで魚油を全く用いない養殖を実現できると期待される。これが実現されれば、従来の“DHAを消費していた養殖産業”を“DHAを生産する産業”へと変革することが可能になると期待される。

引用文献
Alimuddin, G. Yoshizaki, V. Kiron, S. Satoh and T. Takeuchi. Enhancement of EPA and DHA biosynthesis by over-expression of masu salmon Δ6-desaturase-like gene in zebrafish. Transgenic Research 14, 159-165. 2005.

Kabeya, N., Y. Takeuchi, Y. Yamamoto, R. Yazawa, Y. Haga, S. Satoh, G. Yoshizaki. Modification of the n-3 HUFA biosynthetic pathway by transgenesis in a marine teleost, nibe croaker. Journal of Biotechnology 172, 46-54. 2014.

Matsushita, Y., K. Miyoshi, N. Kabeya, S. Sanada, R. Yazawa, Y. Haga, S. Satoh, Y. Yamamoto, C. A. Strussmann, A. Luckenbach, G. Yoshizaki. Flatfishes colonised freshwater environments by acquisition of various DHA biosynthetic pathways. Communications Biology 3, 516. 2020.

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