アメリカの大豆搾油業の黎明

6. エピローグ

 アメリカの大豆生産と大豆搾油業のサクセス・ストーリーの端緒は、ひとまずここで終わります。アメリカは、第二次世界大戦を契機に世界最大の大豆生産国となり、大豆搾油業においても世界の最先端国となりました。しかし、ひたすら増産を目指した時期には無視された品質や味覚に対する不満が、戦争の終了とともに頭をもたげます。何より重要な問題は、大豆油特有の不快な臭いにありました。これが、大豆搾油業の最大の問題であり、今後の発展を阻害する要因であると認識されました。このため、アメリカの関係者は様々な努力を続けますが、その第一歩は、当時の全米搾油業者協会(National Oilseed Processors Association)の理事会議長であったEdward Dies氏が1946年に組織した「大豆油の風味安定に関する大会」(Conference on Flavor Stability in Soybean Oil)でした。1946年4月22日、シカゴで開催された第1回会議には、大豆搾油業界、政府、研究者などが結集し、この問題を討議しました。その結果、大豆搾油先進国であったドイツへ調査団を派遣し、ドイツにおける脱臭技術を習得することによって脱臭技術を改善し、不快な臭いの問題を克服するに至りました。詳細は省略しますが、これを契機にアメリカの大豆油の品質は向上し、再び大豆生産が増加の軌跡をたどりました。1970年まで、アメリカにおける大豆生産量は10年ごとに倍増する勢いで増加し、今日まで世界最大の大豆生産国の地位をゆるぎないものとしてきました。

 今日では、南米が新たな大豆生産地として生産を拡大し、ブラジルの大豆生産量がアメリカのそれと並ぶ状態になりました。また、大豆油生産量は中国の後塵を拝するに至りましが、それらはアメリカ大豆産業の地位の低下を意味するものではないでしょう。
 第二次世界大戦後、世界中が食料不足に直面するなかで、アメリカは小麦、大豆をはじめとする多くの農産物を世界に供給し、発展途上国への食料援助を推進し、「世界のパン篭」としの責務を果たしてきました。そして、現在においてもその歴史的役割を認識し、責務として実行されていることを私たちは理解しなければならないのではないでしょうか。


*この記事は、次の資料を引用して紹介したものです。
アメリカ農務省:The History of U.S Soybean Exports to Japan (2009年1月23日)
Soyinfo Center:History of Soybean Crushing Industry:Soy Oil and Soybean Meal

Soyinfo Centerに関する情報は、次のとおりです。

代表者 Bill Shurtleff
住 所 P.O. Box 234
Lafayette, CA 94549-0234
California, United States.
URL www.soyinfocenter.com
電話 +1- 925-283-2991

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