お米から作るこめ油 ―もっと食べたい、もっと知りたい―
2.こめ油の歩み 

 米糠を袋に入れてお風呂で石鹸代わりに使ったり、床や家具をぴかぴかに磨いた経験をお持ちの方は少なくなったのではないでしょうか。お肌をつややかにし、床がぴかぴかになるのは、米糠に含まれる油分のはたらきです。この油分を利用できないのかという考え方が生まれるのは極めて自然なことでしょう。しかし、現実はなかなか難しいものです。
 米糠から油を絞ってみようというアイデアは江戸時代から試みられたようですが、米糠に含まれる油分は20%未満と低く、強い圧力をかけても搾り出すことは容易ではありません。日本植物油協会会員企業の情報では、こめ油の生産が本格的に試みられたのは昭和の初期で、ビタミンBの発見で著名な鈴木梅太郎博士も米糠油製造の研究をされ、菜種油の圧搾に用いられていた圧搾機(玉締機)を利用し、大変なご苦労の末に米糠油(当時は、米糠油と称していました。)を製造されたという記録が残されています。また、日本政府(農林省)は、米穀利用研究所を設置して米糠油製造法の研究を開始されました。

 これらを受けて企業化を試みる人達が輩出し、昭和16年(1941年)には、100を超す米糠油製造所があったとされていますが、品質はいまひとつな上、米糠油というネーミングが消費者からは敬遠されたと伝えられています。

 戦後、貴重なお米の有効利用のため政府は米糠油生産の奨励を行いました。このため、米糠油製造所が乱立し、昭和25年には全国に286の製造所があったと記録されていますが、政府保護の縮小に伴ってその数は一挙に激減しました。
 昭和31年(1956年)、一つの転換期が訪れました。米糠油の品質向上に尽力してきた日本油化学協会など関係者の努力により、ちょっと評判の悪かった米糠油という名称を「こめ油」に改称し、日本農林規格においても法律に基づく名称を「こめ油」とすることとなりました。加えて、新生「こめ油」の品質向上が進み、こめ油のコレステロール低下機能が明らかにされるなど、こめ油の市場が発展する基盤が創られました。


表2 油化学協会によるこめ油のすすめ(昭和32年)

こめあぶらのすゝめ

※ 貴重な国産資源であるお米を有効に利用しようとする当時の意気込みが感じ
   られる文書です。


 このような基盤に立って、こめ油業界は「西洋のオリーブ油、東洋のこめ油」というキャッチフレーズを設けてこめ油の販路拡大を推進しました。これが、いまのこめ油につながっているのです。


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