一般社団法人日本植物油協会は、
日本で植物油を製造・加工業を営む企業で構成している非営利の業界団体です。

植物油が取り結ぶ“人々の願い”・・・油掛地蔵

海に囲まれた日本では、昔から水産物を重要なたんぱく源として活用してきました。その中で独自に発展してきたのが、蒲鉾などの練り製品。魚の旨味を凝縮した「さつま揚げ」もその一つです。すり身を植物油で揚げることで、滋味豊かな味わいが生まれました。

練り製品中トップの生産量

「さつま揚げ」は、魚のすり身を油で揚げたものの総称。蒲鉾、竹輪、つみれ、はんぺんなどと同様の水産練り製品です。ヘルシーフードとして海外でも大人気のカニ風味蒲鉾も同じ仲間で、「kamaboko」や「surimi」は今や世界でも通用する言葉になっています。

もともと練り製品は、鮮魚の貯蔵技術が未熟だった時代に、大量に獲れた魚を処理する方法でした。魚の身が白く、味も上品なところは蒲鉾などに使い、残った皮や骨についた身などを調味して揚げたのが、「さつま揚げ」です。高温の油で加熱することで、すり身の水分は蒸発して旨味が濃縮され、さらに油を吸収するので風味が増します。

揚げる植物油は価格だけでなく、加熱したときの安定性、保存性、色と風味、使いやすさを考慮しなければなりません。

大豆油は、独特の味わいがあることから、全国的に広く使われています。素材の風味が生きている菜種油は、酸化・加熱安定性も良いことから、古くから、菜種の産地が多かった西日本を中心に使われてきました。

これらのほか、トウモロコシ油は風味と安定性に勝っているものの、少し値段が高く、またゴマ油はビタミンEを含み安定性や風味がよいのですが、やはり高価なので他の油に少量混ぜて使用します。

こうして「さつま揚げ」は、それぞれの土地でよく獲れる魚と油が結びつくことで多彩な郷土の味をつくり、生産量は練り製品中トップです。

「さつま揚げ」のルーツ

練り製品で、最初に誕生したのは、「蒲鉾」です。平安時代に、魚のすり身を竹に塗りつけて焼いたものが、スダレの材料にする植物の蒲(かま)の穂に似ていたところから、「蒲鉾」と称するようになりました。「蒲鉾」の元祖は、今の竹輪のようなものだったわけですね。練り物は「あぶり焼き」からはじまり、時代が下るにつれて、「茹でる」、「蒸す」、「油で揚げる」と加熱方法が加わっていきました。

「さつま揚げ」が一般に広まるのは、「蒲鉾」誕生から数百年のちの、菜種油が普及する江戸時代後期以降と考えられています。

そのルーツについては、江戸時代に、琉球と呼ばれた沖縄に中国・福建省の揚げ物料理の一つとして伝わり、これを「チキアギ」と呼び、やがて薩摩に渡って、「つけ揚げ」になったという説があります。

また、島津藩主・斉彬公が藩の産業発展策として、大量に獲れる小魚の加工を奨励したという説もあります。

日本の南の先端で生まれた「薩摩のつけ揚げ」は、北上して江戸へ至り、略して「さつま揚げ」と呼ばれるようになりました。今でこそ「さつま揚げ」という名称は全国ブランドとなりましたが、少し前までは関東の限られた地域でしか使われていませんでした。

その他の呼称としては、「てんぷら」が関西をはじめ広範囲に使用されていますが、「揚げ蒲鉾」(東北)、「はんぺん」(関西以西の一部)、さらに魚の種類や部位により「ジャコ天」「皮てんぷら」「身天(みてん)」「骨天(ほねてん)」など、地域によりさまざまな名称があります。

「さつま揚げ」の不思議

名前の由来や薩摩藩の江戸屋敷付近から広まったという話からも、関東地方の「さつま揚げ」は、薩摩の「つけ揚げ」直系と見られます。

しかし、全国のすべての「さつま揚げ」のルーツが、琉球や薩摩かというと、異説があります。

例えば、宇和島の「ジャコ天」の場合、1614年に宇和島藩主となった伊達の殿様が、仙台から蒲鉾職人を連れてきて作らせたのが発端とする説があります。たしかに、宇和島名物となる「蒲鉾」生産の基礎を築いたのは間違いないでしょう。その時期には、すでに中国や南蛮から揚げ物の類の料理が国内に入ってきているので、可能性としてはあるかもしれません。しかし、植物油の供給が十分に行われる体制が整っていないこと、仙台にも宇和島にも「揚げ蒲鉾」の記録は残っていないことから、「ジャコ天」が普及していたとする説には無理があるように考えられます。また、鹿児島、大分、長崎、京阪などから伝えられたという説もありますが、ルーツを確定することはできないようです。

鹿児島の「つけ揚げ」も宇和島の「ジャコ天」も、かつては家々でつくられていた料理でした。利用価値の少ない小魚を用い、骨ごと無駄なく潰すので栄養たっぷり、見た目の黒っぽさは揚げ色でカバーして、おいしく仕上げる「さつま揚げ」は、庶民の「もったいない精神」が育んだエコ製品ともいえそうです。

各地の「さつま揚げ」

揚げ蒲鉾(宮城県塩釜市)

塩釜は、「さつま揚げ」の生産量日本一。地元では「揚げ蒲鉾」と呼ばれ、笹蒲鉾と同じようによく食卓にのぼります。スケソウダラを主体にした「揚げ蒲鉾」の種類は、小判型や四角、イカやゴボウを入れたもの、野菜を混ぜたものと多彩です。良港に恵まれた宮城県は、練り製品全体の生産量も全国一位です。

揚げ蒲鉾(宮城県塩釜市)

揚げ蒲鉾(宮城県塩釜市)

白天(大阪府)

京阪神、特に大阪で製造される揚げ色をつけない白い、さっぱり味の「白天」。キツネ色に揚げたものは赤天と言います。材料は、グチ、ハモ、スケソウダラなど。白く仕上げるために、砂糖や味醂などを加えず、低温の新しい植物油で揚げます。細切りの昆布やキクラゲを混ぜた「白天」もあります。

白天(大阪府)

白天(大阪府)

骨天(ほねてん・和歌山県有田市)

「骨くりてんぷら」の略で、「ほねく」あるいは「骨天」と言います。地元の辰ヶ浜で水揚げされたタチウオを骨ごと砕いて植物油で揚げたもの。タチウオのほかに、アジ、鯛の稚魚のチャリコ、カミコ(小魚)など旬の魚も入れます。身だけでなく皮も骨も使うので、歯ごたえ十分の個性派です。

骨天(ほねてん・和歌山県有田市)

骨天(ほねてん・和歌山県有田市)

ジャコ天(愛媛県宇和島市)

宇和島は蒲鉾の産地として昔から知られていますが、小魚のハランボ(ホタルジャコ)が骨まで入った香ばしい「ジャコ天」も有名。「皮てんぷら」とも言い、皮や骨を混ぜてつくるので、身は薄く黒いのが特徴。カルシウムたっぷりで、小骨が歯に当たるほどのしっかりした噛みごたえです。

ジャコ天(愛媛県宇和島市)

ジャコ天(愛媛県宇和島市)

飫肥天(おびてん・宮崎県日南市)

黒っぽい焦げ茶色のユニークな「飫肥天」。江戸時代から伝わる日南市飫肥(おび)地区の伝統的な特産品です。近海で獲れるイワシ、アジ、シイラ、サバ、トビウオなどの大衆魚のすり身に豆腐を加え、味噌と醤油と黒砂糖で味付けをするので、食感がやわらかく、少し甘めの味わいです。

飫肥天(おびてん・宮崎県日南市)

飫肥天(おびてん・宮崎県日南市)

つけ揚げ(鹿児島市)

発祥地とも言われるだけあって、消費量日本一。エソ、グチ、スケソウダラ、イワシなど、新鮮な魚を骨ごとすり身にし、豆腐や卵と混ぜ、地酒などで味をととのえてから、菜種油で香ばしく揚げます。「にんじん揚げ」「ごぼう巻き」にサツマイモ入りの「いも天」などのほか、何も入れない棒状の製品も。

つけ揚げ(鹿児島市)

つけ揚げ(鹿児島市)

チキアギ(沖縄県)

長い歴史を持つ郷土の味。「チキアーギ」とも呼びます。県魚のグルクン(タカサゴ)を使用。グルクンは、海から揚げると表面の色が青から赤に変わるという特徴のある白身魚です。スケソウダラやカジキマグロなどを混ぜ、油で揚げて仕上げます。野菜といっしょに炒めてチャンプルーにするほか、沖縄ソバにも添えます。

チキアギ(沖縄県)

チキアギ(沖縄県)

  • 【 参考資料|
  • 「新訂 かまぼこの科学」(岡田稔 著 成山堂書店)/
  • 「蒲鉾・煉りもの名品事典 2008年版」(日之出出版)/
  • 「和食と日本文化」(原田信男 著 小学館)/
  • 「うまさ満点 じゃこ天BOOK」(岡弘康 著 愛媛新聞社) 】