一般社団法人 日本植物油協会 社団法人日本植物油協会は、日本で植物油を生産している企業で構成している非営利の業界団体です。

com_img_logo2_description

日本の缶詰をサポートした植物油

四季おりおりの食材がいつでも、どこでも食べられる缶詰が、誕生してから約200年。私達のもっとも身近にある保存食品の一つです。
日本ではおよそ800種類の缶詰が流通しているとされ、最近ではおでん缶やラーメン缶も話題になりました。
世界でも有数の缶詰生産国であり、消費国でもある日本で最初に作られたのが、「イワシの油漬け缶詰」、つまり「オイルサーディン」です。
この缶詰の開発にひと役買ったのが植物油でした。

缶詰の発明

缶詰は今ではごく一般的な加工食品ですが、多くの人々の知恵と工夫が詰まっています。食物を密封し加熱殺菌して長期保存する缶詰の原理は、1804年にフランスのニコラ・アペールによって考案されました。ナポレオンが遠征する兵士のために食料を長く保存する方法を公募したことがキッカケといわれています。

このときアペールが作ったのは、正確には缶詰でなく、びん詰めでした。広口のガラスびんに食材を入れてコルク栓で密封し、びんごと加熱しました。当時、腐敗の原因は空気と考えられ、外気を遮断することで食品の腐敗は防げるとアペールは考えました。腐敗は微生物によるものであり、微生物は加熱によって死滅することをパスツールが証明するのは、それから約60年後のことですが、当たらずとも遠からずで、結果は正しかったと言えるようです。

オイルサーディン

日本で流通するオイルサーディン。国産品はクセのない綿実油が多く使われるほか、紅花油なども。海外品はオリーブ油がほとんど。

ブリキを用いた缶詰は、その後まもなくイギリスにおいて作られました。缶詰はヨーロッパから新大陸へと広がり、アメリカで大量生産のシステムが確立していきます。

ところで、缶切りはいつごろ作られたのでしょうか? 答えは意外に遅く、アペールによる缶詰開発から50年以上もあとのこと。それまで、「斧とハンマーを用いるように」と開缶方法が記されていたそうです。缶詰は戦地でも重宝され、銃で缶を開ける兵士もいて、中身まで吹き飛ばすことも・・・なんともワイルドな開け方ですね。現在では缶切り不要のタイプが多くなっています。

ニコラ・アペール

ニコラ・アペール(1749年〜1841年)。パリの製菓職人で、食料品商も営んでいました。アペールは赤貧の中で研究しましたが、缶詰の原理発見のおかげで、多額の報奨金を手に入れました。

植物油を用いた日本の缶詰第一号

明治維新後、いち早く政府は缶詰の将来性に注目、重要な研究テーマに取り上げます。そんな中、一人の民間人が缶詰作りに挑戦しました。長崎の松田雅典(まつだ・がてん)がその人です。

雅典は、生来手先が器用な上、西洋の文物に人一倍好奇心が強く、ことに食品について熱心に研究していました。

雅典はある時、勤務していた語学学校で、フランス人教師が持ち込んだ牛肉の缶詰を見て、驚きの目を向けました。何ヶ月も前に作られた食品が腐ることもなく、そのまま食べられる。当時の日本の保存食といえば、干物や乾物、塩蔵品くらいしかありませんから、この西洋からやってきた加工食品にはびっくりしてしまいました。

1824年にイギリス隊が北極探検に持って行った缶詰

1824年にイギリス隊が北極探検に持って行った缶詰。余ったものを持ち帰り十数年後に開けたら、中身は完全な状態だったといいます。

探求心の強い雅典は、さっそくフランス人教師の指導のもとで、缶詰の試作に取りかかります。最初に作ろうとしたのが、「イワシの油漬け缶詰」です。ここで注目したいのが、「油漬け」。油で空気を遮断し腐敗を防ぐ保存方法の一つです。西洋では、缶詰が誕生する以前から行われていました。缶詰製造の黎明期においては、製造技術が未熟で、粗悪品も少なくありませんでした。「腐っているおそれがあるから、夏場の缶詰には注意せよ」と言われていたくらいです。雅典は油漬けの技法と缶詰の技術を組み合わせて、食品の保存力をより高めようとしたのでしょう。

もう一つ問題がありました。欧米のオイルサーディンにはオリーブ油が使われますが、日本にはオリーブ油がありません。そこで雅典は、日本在来の植物油を採用することを考えます。ところがこれには苦労したようです。菜種油、ごま油、とさまざまな植物油を試した果てにたどり着いたのが、椿(つばき)油でした。この缶詰は、フランス製品に劣らないものだったと言われています。日本の缶詰製造第一号の完成は、明治4年(1871年)のことでした。

松田雅典(1832年〜1895年)

松田雅典(1832年〜1895年)。晩年に至るまで、青年のような感受性と進歩性を備えていたと伝えられています。缶詰だけでなく、ハムやコンビーフの開発史においても名を残しています。

その後の缶詰製造

明治10年(1877年)に、北海道において官営の缶詰工場が開設され、本格的にサケ・マスの缶詰製造が始まりました。やがて全国各地で缶詰が生産されるようになり、有力な輸出品として発展していきました。

雅典もまた、牛肉、タイ、車エビ、カキ、竹の子、桃、ビワ、イチゴ、トマトなどの試製品を手がけ、のちに事業化に乗り出します。香港で販売したり、フランス海軍の軍艦が長崎に入港した際には、缶詰を納入しました。雅典が起こした事業は、彼の没後に軌道に乗りましたが、主力製品はやはり「イワシの油漬け缶詰」でした。

最後に、缶詰と植物油をめぐるエピソードをもう一つ紹介しましょう。小豆島のオリーブは、もともとイワシやマグロの油漬け缶詰に使用するオリーブ油の国内自給を図るために栽培されたものです。明治41年(1908年)に当時の農商務省は小豆島のほか、三重と鹿児島の3カ所で試験栽培を始めましたが、結局、地中海性気候に近い小豆島だけに根付き、日本一のオリーブ生産地になりました。

  • 【 参考資料|
  • 「日本缶詰史第一巻」(山中四郎 著 日本缶詰協会)/
  • 「目で見る日本缶詰史」(日本缶詰協会 編 日本缶詰協会)/
  • 「缶詰入門」(平野孝三郎 著 日本食糧新聞社)/
  • 「冒険缶詰」(ワールドフォトプレス)】