植物油の健康性、安全性につきまして

3.エゴマ油の復権

(1)日使頭祭の復活

  幕末〜明治維新〜文明開化と続く時期、山崎離宮八幡宮は苦渋の日々が続きました。禁門の変(1864年)において、長州藩の一軍が天王山に陣取ったことから一帯は炎上し、八幡宮も延焼を免れ得ませんでした。明治維新では一転して幕軍に与したと認識され、離宮八幡宮は苦境に追い込まれました。そして、東海道線の京都〜神戸間の開通(1887年)が離宮八幡宮の社領と神域を分断し、神社は大幅な規模縮小を余儀なくされました。

  山崎離宮八幡宮の権勢と経済的地位が低下したとはいえ、同神社が「油祖」であることには変わりはなく、油脂関係者の崇敬は連綿として継承されていました。数度にわたり消失・崩壊した神社の再建・改修は油脂関係者の寄進で何とか支えられてきたのです。しかし、華やかな日使頭祭を復活させることは不可能な課題でした。
  日使頭祭が姿を消して300年余を経た1986年、油脂産業関係者は協力して日使頭祭を復活させましたが、昔日の華やかな八幡神遷座の行列を復活させるべくもなく、八幡宮への神楽奉納、献灯、「湯立」(ゆだて)を執り行う祭礼となりました。
  湯立の儀式については、全国の神社には様々な様式があるようですが、離宮八幡宮で行われる湯立は、大釜で熱した湯に米、塩、お神酒(おみき)を注ぎ、玉串に見立てた笹の枝を湯に浸し、湯を撒き散らします。この滴を浴びると無病息災や五穀豊穣の御利益が得られるとされています。製油関係業界では、その年のビジネスが順調に進むことを祈る儀式として参拝し、植物油による灯明の献灯を行っています。

図6 離宮八幡宮日使祭「湯立の儀式」

熱湯に米、塩、お神酒を注ぎ玉串に見立てた笹の束で熱湯を振り撒く

(2) エゴマの復活

  ささやかに再開された日使頭祭は、離宮八幡宮遷座1150年祭(2009年)を契機に様変わりすることとなります。
  1150年祭催行に先立ち、老朽化した神社の改修工事を行わねばならないという難事がありましたが、製油産業関係者による寄進だけではなく、地元大山崎町の人々が寄進活動を推進し、多額の浄財を集めることに成功しました。このことは「神社が住民を支えてきた」という離宮八幡宮の歴史が、「住民が神社を支える」ことに様変わりしたことを意味するもので、離宮八幡宮1100年余の歴史において初めて体験する出来事でした。
  変化の兆しは、その数年前からの日使頭祭にありました。製油業関係者だけではなく、地元住民が参加できる祭祀にしたいとの思いを強くした関西の油商たちが、屋台を出して村の鎮守様のお祭りらしさを演出しました。日使頭祭には地元の人たちや子供たちが集まるようになり、人々は「エゴマ」と離宮八幡宮の歴史を少しずつ意識し始めたのです。
  そして、離宮八幡宮関係者による寄進活動がその意識を増幅させ、神社が歩んできた道程と地域の歴史を振り返る動機となり、人々の胸にエゴマ油による大山崎町の繁栄と栄光の日々が甦ります。大山崎町の人々の間に、離宮八幡宮を地域の誇りとする意識が徐々に広がりました。1150年祭を祝うため、愛媛県松山市の朝日八幡宮(山崎離宮八幡宮の分社)のはたらきかけで松山名物の勇壮な「喧嘩御輿」(けんかみこし)が遠征してきたことも、人々の関心を高めることに貢献しました。

  この変化に気づいた寺島さんたちの胸に、「この地域に、エゴマ油を復活させよう」という思いがよぎりました。そのアイデアが、大山崎町教育委員会による「エゴマ油復活プロジェクト」でした。このようなプロジェクトを行政が主導する場合には、「エゴマ油復活を復活し、地場産業に育てたい」という気負いが生じがちですが、エゴマ油の産業的な復活がどれほど困難なことであるかをしっかりと見定められていました。一方、参加者のほとんどは「これに参加することで、何かおもしろいことがあるかもしれない」と考えていました。プロジェクトは地域の人々にエゴマへの関心・興味を喚起するきっかけであり、行政は機会の提供に徹し、活動の方向づけやチームの運営は参加者の発意に委ねられました。「町のみんなが行動する、そのための求心力」がエゴマであり、「重荷を背負わない」身軽さこそがプロジェクトの真骨頂でした。

※ 「エゴマ油復活プロジェクト」については、植物油INFORMATION第75号「油祖の地に蘇るエゴマ―時空を超えた人々の熱い想い―」をご覧ください。

(3)えごまクラブの発足

  「町の歴史も勉強した、エゴマも栽培・収穫した、エゴマの油も絞った、油屋の見学もした、セミナーも開催した、もう教育委員会がやることはない」という発言があったかどうかはわかりませんが、活動の素地作りは終わったという感覚は、教育委員会にも参加者の胸にもありました。プロジェクト参加者の自由な発想にゆだねることが基本であっても、教育委員会が土俵を用意することにより活動の考え方が制限されるということもあったのかもしれません。
  「後は、自分たちでやってみよか?」・・・。「大山崎町えごまクラブ」はこうして発足しました。「油」の一文字が外されたところに新しいクラブの見識が見いだされます。3年間のプロジェクトの歩みが、エゴマを油の原料だけとはとらえない自由奔放な考え方を生み出しました。エゴマの魅力や可能性を十分に引き出すとの考え方が、「油」の一文字を削除させたのです。
  クラブの参加者は17名、会社を退職した方、大学の先生だった方、主婦の方、そして寺島さんや八幡宮権禰宜の津田夫妻、そんな人々の集団です。ちょっと少ないのではないのかという疑問には、「働いている人たちは、クラブの日常活動に参加しづらいので」ということで、クラブのイベントがあるときには大勢の方が集まります。「大山崎町で開催される行事でもっとも多くの人が集まるのが、えごまクラブのイベントです」と寺島さんが語るとおり、新しい衣装をまとったエゴマが油祖神の地に着実に根付いていました。

  「重く考えたらあきません。まあ、一種の遊び心ですな。」と語るのは、みんなに押されてクラブの会長となった永田正明さん。みんなが好き勝手なアイデアを出し合い、それを実行することがクラブの原点ですが、とんでもない発想が飛びだし実行に苦労することも多いとか、それでも、勝手なことを言い合う中に連帯感が生まれてきます。
  離宮八幡宮の津田庸子さんは、大学で自然科学を専攻された方。「真珠はタンパク質なので、草木染めができるんですよ。このネックレスを、エゴマの葉で染めてみようと考えています。」。さて、どんな色になるのか楽しみですね。
  「行政主導になれば、成果を求めてエゴマで地場産業を育成しようということになりがちですが、そうなると事業化自体が目的化してしまいます。老若男女を問わずエゴマを通じて地域の文化や歴史を学ぶという遊び心が消えかねません。私たちは、そんな背伸びはしません。」。永田会長のこの言葉は、会員たちが共有する信念でもありました。

図7 お話を伺ったえごまクラブ会員の皆様

注:前列左から2人目が永田会長

(4)文化庁の補助事業

  えごまクラブ発足には、もう一つの事情があったのかもしれません。会員の会費という自主財源だけでは、活動を拡大し、多くの人々が参加できるイベントを実行していくことは不可能でした。そんなとき、文化庁の「文化芸術振興費補助金」制度を見つけました。この補助制度の対象となる活動に「文化遺産を活かした地域活性化事業」という項目があったのです。「エゴマ油復活プロジェクトと同じやん!」、そんな声が出たかどうかわかりませんが、直ぐに組織の作り替えが実行され、補助事業への申請作業が進められました。「あの人」が活躍されたのは、言うまでもないことです。
  そして、2012年度に「栄えの街、大山崎の歴史と文化遺産を活かした地域活性化事業―エゴマと茶の湯文化をキーワードに−」という事業名で申請は認められ、100万円余りの補助金が交付されることとなりました。茶の湯が付加されたことには理由があります。JR山崎駅を出ると左手に妙喜庵(臨済宗大本山東福寺派)の茶室「待庵(たいあん)」(国宝)があります。千利休作とされる現存する唯一の茶室で、日本最古の茶室建造物です。この国宝の茶室を抜きにして、大山崎町の歴史と文化遺産が語れないのです。「油」の一文字が抜けた理由も、これと関わりがあるのでしょう。「本来の茶の湯だけではなく、エゴマの葉っぱをお茶にすることにもトライしてます。」・・・。クラブの活動が一層熱を帯びたものとなります。
  財源が増加したことから、2012年度には油の歴史の原点である「長木」の模型(図4参照)作りが行われました。この模型は2013年4月の日使頭祭に披露され、実際にエゴマを搾り、油を得ることに成功し喝采を受けました。2014年度には「搾め木」の模型作りへの挑戦が進められています。クラブの日常活動として広報誌「あかりだより」が発行され、流行りのゆるキャラ「アブラウリしょうた君」も登場しました。

図8 アブラウリしょうた君

(5)うれしい悲鳴、心強い援軍

  文化庁の補助事業はクラブの活動の推進力になりましたが、うれしい悲鳴も上がります。
  「年間事業計画の策定、町の人達も参加するイベントの実行、毎月の例会開催、報告書の提出など、事業を認めていただくための仕事が増えました。」。しかし、クラブの会員にとってそのことは問題ではありません。「補助金をいただくのだから当然のことです。ただ、これらの作業を義務的に遂行することをもって、クラブの活動が進んだと会員が誤解しないようにしなければなりません。補助事業はクラブ活動の一部という認識を忘れてはなりません。」。ごもっともです、よくわかりました。

  最初のプロジェクトを仕掛けた教育委員会も、心強い援軍を差し向けます。「小学校4年生の社会科にエゴマ栽培の授業が設けられ、クラブの栽培作業を手伝ってくれます。そこで学んだ子供たちは、クラブのイベントにも喜んで参加してくれます。」。

図9 搾め木の模型作りワークショップ
―子供より大人がはしゃいでいる?−

  援軍は行政や町の人たちだけではありません。「セミナー、工場見学、あんどんなどの制作活動などを支援してくださった企業の皆様が、おもしろい活動だと言ってその後も資材の提供など無償で様々なお手伝いをしてくださいます。」

  いま、大山崎町で「エゴマって何ですか?」と言う方は皆無になったとのこと。クラブの活動は花を咲かせ、実を結びましたねとお訊ねすると、笑いながら、「いや、遊び心に終わりはありません。だから、花が咲くことはあっても、実を結ぶことはありませんよ。」とのお答え。迂闊な質問でした。
  「エゴマの活動をされている地域がほかにもあります。その人達とエゴマサミットのようなものが開けないかといま考えています。まあ、会員のみんながこれからも勝手な提案をして、わいわい言いながら活動が続くでしょう。」

※この記事の作成に当たっては、大山崎町歴史資料館、大山崎えごまクラブ、離宮八幡宮の皆様にご協力いただきました。

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