油祖の地に蘇るエゴマ―時空を超えた人々の熱い想い―
2.離宮八幡宮1150年祭

 時は一挙に流れて平成22年。離宮八幡宮は、鎮座以来1150年を数えることとなり、それに先立つ数年前から、神社の修築はじめ1150年祭の準備が始まりました。普通の神社であれば氏子総代会が寄進の推進母体になりますが、村の氏神様ではなかった八幡宮が修築費用を集めるのは容易ではありませんでした。油脂産業関係者による寄進とともに、地元の崇敬の念が熱い人々が町内を奔走して、寄進を募らなければなりませんでした。油祖の歴史を語り、地域の誇りとして八幡宮を守り育てたいという願いは多くの人々に伝わり、予想外の寄進が集まることとなりました。そして修築した建物の塗装には、製油企業から寄進されたエゴマ油が用いられました。

 しかし、神社の記念祭はこの物語のプロローグに過ぎません。

 「八幡宮の1150年の歴史とエゴマが、地域の活力になるかもな?」と考えたのは、同町教育委員会の寺嶋さんと同僚の林亨さんでした。「エゴマ、作ってみよか」の軽いノリで「エゴマ油復活」を町広報で紹介したところ、一般紙もこれを取り上げたため、町内のみならず東京や九州からも反応がありました。「えらいことになった!」を推進力とするのが京都の女性の底力。彼女たちは水を得た魚のように活動を始めます。

 寺嶋さん達には熱い想いがありました。学芸員として町内の遺跡発掘に参加し、室町時代の地層からエゴマ油製造に使用された器具類が発見されたのです。これが「エゴマ油復活プロジェクト」の原点となりました。

 JR山崎駅から少し下った街角に、山崎のエゴマ油の歴史と発掘された器具類を語るパネルが立っています。以前ここには別のパネルが設置されていたのですが、寺嶋さん達が置き換えました。

 「この町はすごい町やった。これを町の活力にしよう。歴史は書物で学んでもおもしろうない。行動を通じて歴史を知り、人々が誇りを持てば、町が元気になる」。寺嶋さんと林さん達の胸の内にはこんな想いがよぎったのでしょう。


【 図4 街角で見かけた観光ガイドパネル 】

図4 街角で見かけた観光ガイドパネル
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